日本酒小噺

ヤマタノオロチが呑んだ酒
更新日:2021年12月26日

今昔小咄向きかとは思いましたが酒の話なのでこっちにしました。

素戔鳴尊(スサノオノミコト)が八岐の大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した話は、古事記に詳しくない人でも聞いた事くらいあるでしょう。
では、退治した時にヤマタノオロチが呑んだ酒はどんなものだったのでしょう?

高天ヶ原から追放されたスサノオノミコトは、金銀が沢山あると思ってイソタケル、オホヤツヒメ、ツマツヒメなどの子供達を連れて、九州から朝鮮半島へ渡りました。
ところが、金銀はおろか森林が果てしなくあるばかりですぐに帰りたくなってしまいます。
とはいえ九州は追放されていたので現在の島根県奥出雲の方に向かいました。
するとそこには小さな集落があり、アシナヅチ、テナヅチという夫婦が嘆いていました。
話を聞くと、八岐の大蛇が何度も来て子供達は呑み込まれてしまうそう。
これをスサノオノミコトが退治する、というのがヤマタノオロチのお話なのですが、ヤマタノオロチなんて本当にいたのでしょうか?

ヤマタノオロチは頭も尾も八つに分かれ、赤い酸漿(ほおずき)のような眼をしており、その背には松や檜が生えていました。

実はこれ、河川の水害を抽象しているのでは、という説もあります。
濁流と共に押し寄せる流木の山を大蛇に例えたのかも知れません。
もしその説が正解だとしたら、その時造った酒は地鎮祭的な意味があったのでしょうか。

とにかく、その酒は「八甕(やがめ)の酒」と云って、木の実をたくさん集めて何度も絞った強い酒だったそうです。
酒、というよりはワインに近いものだったのかも知れませんね。
もし再現できるなら、是非呑んでみたいものです。
その後イナダノミヤヌシスサノヤツミミから生まれたクシイナダヒメを連れて現在の出雲市佐多町の方で育て、やがて妻としました。

その五代後の子孫アメノフユキヌによって、ヤマタノオロチを退治した時に見つけた雨叢雲剣は九州に献上されます。
のちの草薙剣となってヤマトタケルの手に渡りました。

その六代後の子孫が出雲大社を祀るオオクニヌシとなります。




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